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施設案内Facility information

歴史・寮歌

歴史

群馬高専「鴻志寮」は、群馬県近辺の広範囲の地域から入学した学生達を受け入れるため、群馬高専創立の翌年の昭和38年に、先ず北寮東側の建設が着工されました。建物の完成と共に、それまで民家に仮住いだった(持木寮時代)約60名の寮生達の本校学寮での共同生活が始まりました。
その後、昭和41年までに北寮西側、中寮、南寮、東寮の順で次々に増築され、現在の形態の鴻志寮が完成しました。当時、4棟の総定員数は304名で、昭和43~45年には寮生数が260名を超える(学生総数の30%以上)程の盛況でした。

しかし、通学のために原付バイク・四輪車の利用を大幅に認めたなどの事情により、漸次減少の傾向を続けていますが、近年寮の設備も更新され、藤寮(女子寮)もでき、再び増加傾向にあります。
高専の学寮は、寮生達が規律ある共同生活を通じて自己の人格を陶冶することを一つの教育目的とした、いわゆる「教育寮」としての使命を課せられています。そのため、入寮を許可された学生達は、寮生規則、寮生準則などの諸規則を守って生活することを義務づけられています。

一方、生活・行事面で寮生の自主性を重んじるようになって、寮生会が組織され、寮生会規約に従い、寮長が中心となって、週番制度(班組織)による日課の作業、各種委員会の運営などが行われています。また、寮生自身の企画・実行による寮祭が毎年、5月に盛大に行われています。

「鴻志寮」の由来は中国の史書である「史記」中の一文「燕雀(えんじゃく)いづくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」にあります。これは地上低くを飛び回るつばめやすずめのような小鳥には、空高くゆうゆうと飛ぶ鴻や鵠(大鳥や白鳥)の志は理解できない、という意味を表します。将来に大志を抱く学生達が、学寮での共同生活により自主・自律の精神を養い、協調と連帯の心を培って、社会にはばたいて欲しい、という願いがこめられています。

鴻志寮は平成4年度の後期から5年度にかけて大改修が行われました。その際、東寮が女子寮として生まれ変わり、「藤寮」と命名されました。その呼び名が以前と同じ「とうりょう」であるだけでなく、藤の花が日本古来からの花で、女性らしい優しさ、清楚さを秘めていることを女子寮生の姿に重ね合わせています。
改修前の寮生の居室は、4人部屋と2人部屋が主でしたが、改修により、低学年生は2人部屋で、高学年生は個室での生活に改められました。

50年を超える群馬高専の歴史の中で、既に留学生や専攻科生を含む約1,000人以上の寮生たちが鴻志寮・藤寮から社会に巣立っています。寮生諸君にとって、寮生活が人生における貴重な体験となり、社会のためのよき指針を与えてくれることを切に願います。

寮歌

作詞・作曲:白井美由記

1.
赤城おろしに 湖面を揺らし
きらめく西湖 憩えるこがも
心ほがらか 想念高く
今日も学ぼう 希望を燃やし
勇みてすすみ 礎きずく
我らが寮生 鴻志寮

2.
晴れたる空に 夢ふくらませ
見交わす我らの 明るき笑顔
心清らか 友愛堅く
今日も励もう 手と手をとりて
尊びすすみ 礎きずく
我らが寮生 藤ケ寮

3.
生きる大地に みなぎる日ざし
我らが行く末 窮まり知らず
心伸びやか 若き日いまに
今日も歌おう 歌声高く
誇りてすすみ 礎きずく
我らが寮生 学生寮

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